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考え事には飽きない 「子どもは大人の世界に入ってくるな」とは世界を一体何だと思っての発言なのか

こんにちは、子連れ出勤についての特集が編集によってかなり改悪されていたことが話題になっていましたね、うたこです。

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こちらが取材されていた会社の社長さんが放送後に書いていた記事。会社として楽しく子連れ出勤しているのに、「子どもは仕事場にいると邪魔」的な編集をされたということで本意ではない放送をされてしまった模様。

r-blogs.jp

で、こちらのまとめが実際の番組に寄せられた賛否両論部分。

matome.naver.jp

子どもは大人の世界に入ってくるな

私はまだ子どもを産んだりしてないですから、見る視点は自分が子どもだった時と兄弟が幼かった時の状況からになりますが、大人って子どものことを馬鹿にしすぎてませんか。

常に「子どもだから分かるはずがない」という大前提に立っていて、何か突出したできることがあると「まだ子どもなのにこんなことができてすごい」というのは下に見ているからこそできる発言。

大人というのは体も心も頭も成長していることが大前提ですから、それを脅かす自分よりも成長過程の進んでいない存在である子どもを恐れているんですかね。

「子どもは大人の世界に入ってくるな」

というのは私も実際に子どもだった時に言われたことがあるんですが、これはめちゃくちゃ傷つきますよ。大人は仲間はずれを良くないものとしつつ、子どもは簡単に輪から外そうとするんですから恐ろしいです。私の聞きわけが悪くて実際に迷惑行為を行ったのではないか? と思われる方もおられるかもしれませんが、事の顛末を読んだ上でご判断いただきたいところです。

大人の思惑 子どもの気持ち

私が小学校低学年だった時のことです。私は両親の参加した社員旅行に同行することになりました。その時仲良くしていた20歳くらいのお姉ちゃんがいたのですが、両親は「たまには家族以外の大人と過ごす時間を」「仲良しのお姉ちゃんと思い出づくりを」とばかりに気を利かせたつもりか事あるごとに「お姉ちゃんところ行ってきたら?」というのです。

私は、別にいうてそこまで仲が良かったわけでもないしお姉ちゃんが同い年の子たちと話したり遊びたい事にも気付いていたし、お姉ちゃんにとって私は「子守り」に過ぎないことも分かっていたのですが、両親の「年上の人とコミュニケーション」をとるべしという期待もなんとなく分かっていたしで仕方なくお姉ちゃんのところに行っていました。

対するお姉ちゃんも、それなりに仲良くしている子どもだし両親も見ているし来られても拒否はできないというような、三者三様絶妙なバランスにて旅行は進行していたわけです。

仲良く過ごす私とお姉ちゃんを見て満足した両親は、引き続き恐ろしいことを言い出しました。「そうだ! こんな機会も中々ないんだし、今日はお姉ちゃんと一緒に寝たら?」

社員旅行なんです。お姉ちゃんは一人部屋でもなんでもありません。女性社員たちの部屋で寝るということになってしまいます。なぜそんな落ち着けない空間で眠らねばならないのか。私は全力で拒否しました。といっても「え・・・いいよ、家族で寝るよ。」両親はこれを恥ずかしさや照れによる、もしくは遠慮だと捉えそのまま押していき、私は不幸にも女性社員の巣窟で眠ることになってしまいました。中にはもちろん、若くて「子供嫌い」な人もいます。子どもは知っているんですよ。こちらが子どもだからというだけで訳もなく嫌ってくる大人がいるということを。世界は人種差別をなくそうとしているのではなかったか? 皆仲良くを説いてくるのは大人たちではなかったか? 

そして、いよいよ就寝時間になりました。当然ながら、大人の女たちはここで眠りについたりしません。私は眠かった。普段眠る時間なんてとうに過ぎていたからだ。しかし、ここは大人の作法に則って失礼のないようにせねばなるまい。布団の枕部分を突き合わせ、会話ができる状態にセットしたところで、一部のお姉ちゃんたちが真ん中を陣どり「恋バナ」「職場の愚痴」などを話し始める。私のお姉ちゃんはこの真ん中グループだった。端の方でさっさと眠りについた人たちが羨ましかった。私は話を聞きながら理解に努めた。たまに理解できない用語がでてくるとお姉ちゃんに小声で確認をした。相槌も小さな笑い声によるガヤも欠かさなかった。また、再び理解できない用語が出てきたので私はお姉ちゃんに確認しようとした・・・。すると

「子どもは大人の世界にはいってくんなよ! さっさと寝てろ!」

と、目の前の、話題の中心になっていた別のお姉ちゃんに言われた。

私はやりたくてこの場で子どもをやっているわけではない。本当はこんなところに関わらず家族でゆっくり眠っていたかったのだ!!! そんな中での努力も踏みにじられ、悲しさと子どもであるという悔しさに私は涙を流しながら、そのまま布団にくるまった。

・・・くるまったところですぐに眠れるわけもないのだが。子どもはすぐに眠る、だとか、もしかしたら子どもだから理解できずに傷つきもしないと思っているのか、先程のお姉ちゃんが「こういうところに子どもがいると迷惑」「○○ちゃんもずっと面倒見させられて可哀想」だとか言っているのも聞こえた。

私は、寝た。

対等だと思ってるのは子どもだけ

未だに覚えているレベルで本当に傷つきましたねー。いや懐かしい。悲しいことに、子どもは大人を同じ人間として対等に考えているにもかかわらず、大人は子どものことを下等生物か動物に思っているなんてことがままあります。

人は下に見られると、そのレベルまでの言動しかできなくなるものです。例えば、会社で上司に「お前は仕事ができないからな」と言われ続け大した仕事も与えられなければ、やる気も能力もサクサク下がっていくでしょう。大して、「君はできるからな」と期待をされ能力に合った仕事を振られていれば自信もつくし仕事も楽しくなるでしょう。子どもは子ども扱いされることによって「そういう子どもをやらねば」と思ってどんどん面倒な子どもになっていくのです。

どの成長段階の人間にもそれぞれの面倒くささがある

子どもの話を持ち出してくると、子どもはこうこうでうるさい、邪魔なんだから仕方ないだろうという話が出てきますが、それは大人と呼ばれる成長段階に達した人間も同じだと思います。新社会人が出会いに感謝しながら自己紹介を繰り広げるやかましい電車内、週末がくるのが楽しみで金曜はつい飲みすぎてしまう中堅会社員の電車内嘔吐、人生の酸いも甘いも経験してきた気がしてつい若い女の子に語り散らし飲み散らかすはげ散らかしたおじさんと、そんなおじさんに愛想を尽かして不倫に走るおばさん、ただ長く住んでいるし年を取ったというだけでご近所のボスみたいな気持になってるおばあさんと、そんなおばあさんを見つつも怖くて何も言えなくなって盆栽だけが友達のおじいさん。そういう様々な成長段階に存在するめんどくささを人間味と呼ぶならそうだし、最悪で愛すべきものなのだと思います。

子どもも大人も同じ人間だ

成長段階に応じてできることできないことはあれども(身長120センチの子どもに天井の照明取り換えをさせるのは酷)同じ人間であるということと、それぞれの成長段階を認め合うことで子連れ出勤だろうがなんだろうが、できるようになるんじゃないでしょうか。

加齢臭が漂うおじさんにだって、香水のきつい婚活アラフォーにだって、鼻から息を吸うことをやめれば優しくできるはず。我らは等しく人間に生まれてきて、今の時代と人間界の苦労を分かち合う仲間なのですから。世界は子どもも大人も区別しない、ただそこにあるだけなのです。