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Try Something New

この世界の秘密を見つけ出すために、どんなことでもやってみて、いろんなことを考えます。

「良かった今日も死なずに済んだ。」と思いながら生きる

思考・分析

こんにちは、今日も元気に生きていますか? うたこです。

私は昔から無駄に心配性です。毎日毎日、死ぬっていうことを考えながら生きているといっても過言ではありません。小中学校の頃はそれこそ「考え過ぎだよ~」と言われていましたが、スティーブ・ジョブズが「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定を私は本当にやりたいだろうか?」と言い出したころから「そうだ、そういえば人間て死ぬんだった」という意識が全体的に広がっていったような気がします。

人間は死ぬって知ってた? 

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私は本当に、本当に人はいつでも死ぬと思ってます。生きることと死ぬことの境目なんて、昨日と今日の境目くらいに曖昧なものだと思ってます。

  • 道を歩いている時にたまたますれ違った人に殺されなかった
  • 走っている車に突っ込まれたりしなかった
  • 乗っている電車に爆弾が仕掛けられてなかった
  • 電車が脱線しなかった
  • 乗っている自転車が坂道で崩壊したりしなかった

世の中でよく事件になっているので、これらは起こりえないことではありません。でも、日本においては、毎日毎日起こるわけではありません。

こう考えると、私たちは「身近に簡単に人を殺す人はいない」という人間に対する信頼だったり、「作られている機械は滅多なことでは壊れたりしない」という人間が作ったものへの信頼を大前提として、なんの違和感もなしに持っていることがよく分かります。

そんな中で私は、小学校の頃にはすれ違う大人は全員誘拐犯かもしれないと疑い、親切な人は殺人犯かもしれないと疑っていました。名探偵コナンの読み過ぎでしょうか。家の鍵を閉めずにいると一家惨殺犯が入り込んできて皆殺しにされると思っていたので絶対に施錠は欠かしませんでしたし、ダブルロックからチェーンまで徹底していたのは家族でも私だけだったような気がします。

防犯、という観点で行うというよりは家族の命を守らなければ、というくらいの気持ちでいました。なんなんでしょうね。

でも、それくらい何やら背後にいつも「死」がいるかのような気持ちで過ごしていました。

終わりがあるという意識

人間が死ぬ時は、唐突であるように見えて唐突でもなんでもありません。当然起こりうる出来事なので、終わるのは普通のことです。

今日の夜眠ったら、明日の朝が来るけれど、それは決まりきった当然の出来事ですよね。それとおんなじなわけです。

さて、そんな風に終わっていく我が人生に対して、今日一日は生きるにふさわしい一日になっていますか? 

誰かの目から見て「すごい」「かっこいい」必要性は全くありません。自分の目と頭と心が納得する日であればそれでよいのです! 今日は晴れるということを見越して洗濯機を予約運転させて、出社前に洗濯物を干した! うん、最高の一日だ。

何者かになるのをやめる

思春期に入るまで、人間は自分一人の世界に生きています。思春期に入り他者が目に入ってくると「比較」が始まり、それまでは自分にしかできていなかったように思えることが、他の人にもできることを知ります。そして、自分よりもできる人がたくさんいることも知ります。

そして、なんだ自分の能力は特別でも何でもなかったのか、と。自分が存在することに特になんの意味もなかったことを知ります。全知全能の神が、突然全ての力を奪われて地上に落とされた、みたいな感じになるわけです。

そこから数年は、何者かになろうとして必死であがくわけですが、何者かになることはできません。他者から明確に明言されるような「何者か」なんてそもそも存在しないのです。

人間というのは地球上の一生物に過ぎず、しかもほんの一瞬生まれて死んでいくだけ。人類という種族の存続の為に、存在します。それ以上でもそれ以下でもないです。なのに、大人は「あなたは何になりたいの?」と聞いてくるんですよね。私は何にもなりたくない。ただただ私でいたい。

さて、自分というのは人類の目から見ると小さい存在ですが、自分の内側から見ればその存在は相対的に大きくなります。そこには自分で表現できる「自分」が存在するのです。「自分」はこんなタイプの性質・性格を持っていて、こういうことと、ああいうことが得意で、あれは絶対やりたくない。「自分」を明確化し、かといって固めず、毎日眺めて調子を伺ってみましょう。

「よぉ、自分、今日はどうだ。やりたいことはなんだ。やりたくないことはなんだ。」

そうやって、エヴァンゲリオンを乗りこなすように自分自身というロボスーツを体にフィットさせていく。何者かを乗りこなすのではなく、自分自身を乗りこなすという感覚を持つ。そうすると、「何者か」にはなれなくても、どんどん「自分」になっていけるようになります。これが、最初は意外と難しいんですが、だんだんうまく動かせるようになります。そうすると、楽しい! 竹馬や一輪車に上手く乗れた時みたいな気持ちになれます。

他人に褒められるより自分に褒められる今日を! 

他人に褒められることも嬉しいし大切ですけど、他人に褒められることを求めて生きると、それを得られなかった時にいらいらが溜まってしまいます。

その点、自分で自分を褒めるのはただだしいつでもできるし誰の手も借りなくてすむ! なんて効率的なんだ! こんな方法を思いついた私って、スゴイ!w

他人の褒め言葉を頼りに生きると、どんどんハードルが上がっていってしんどいですよ。他人の褒め言葉は期待に対してあなたの達成できたことに対して発せられますが、自分の褒め言葉は当たり前ことができただけでもガンガン使っていいんですからね。えっ、今日朝から自炊したって? まじ天才じゃね? タイムマネジメントと栄養管理のプロって呼ぶわ。

死ぬって知ってる今日を生きよう

さて、生きたままここまで読みきれた皆さん。おめでとうございます。今、どうやらあなたの周りは安全なようですね。でも、時間差はあれどみぃんな死にます。ご安心ください。

生きてる皆さん、今日は何が見えますか、何が聞こえますか、どんな音を発しますか、何を食べますか、何に触れますか。

せっかく死なずに生きれる今日なのだから、自分の好きな日にできるとよいですね。

生きてることを楽しもう!