Try Something New

この世界の秘密を見つけ出すために、どんなことでもやってみて、いろんなことを考えます。

祝! ブログ開設1年記念日!!! 

こんにちは、うたこです。

本日で「うたこの飽きるブログ」開設より丸1年が経ちました!!!!! 

今日はただ、飽きるということについて再度考えてみようと思います。

うたこの飽きるブログにまだ飽きていないうたこ

私が唯一自慢できるのがこれです。綺麗に並んだな~! 

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記念すべき第一記事目はこちらでした。懐かしい。

utautan.hatenablog.com

飽きるけど、飽きるなりに楽しく生きられたらそれでいいんじゃん? 的な適当なノリで開始し、いろんな事に興味を持って調べては飽き、新しいことを始めてはやめてきた一年でした。

私は食べることがめちゃくちゃ好きなので、今は8割型食べ物とスイーツのレビューになっています。あと、それを食べた分ダイエットしてるっていう話と。

どこぞの有名ブロガーさんのように有料記事に移行したりもしないし、ブログで収益! みたいな話もできない、ブログとは! みたいなかっこつけた理論も語れない、”バズる”ような衝撃的な話もかけないので爆発的にPVが伸びることもない、そんなふわっと気ままなブログで落ち着いてきました。

飽きっぽいので、どこかを極めてキリリと語るということが本当にできないんですよね。興味がすぐになくなっちゃって。書いてる途中で飽きることもよくあるし。

だいたいのことができるのは何もできないのと同義

飽きっぽい人というのは、なんでもだいたいはできるという人が多いと思います。なんでもだいたいできちゃうんだけど、特に何も突出しない。初めてのことも7~8割できるけど、最上級まではいけない。

私はそういうタイプなので、さっさと「突出しているけど他の部分はてんでだめ」っていうパートナーを見つけて支える側に回りたいです。そうして「飽きる」という性質を「マルチタスク」と言い換えて中途半端な能力として活用して生きていきたい。

今日と明日を繋いで過去と未来を分断する

今日と明日を継続していくことはとても大事です。飽きちゃうけど、会社にも行かなくなって定期収入がなくなったら、少なくとも今みたいな自由で気楽な生活はできなくなっちゃう。でもずっと同じ今日と明日を続けていては、違った未来はもたらせられない。過去とは違う未来を作るために、やってみたり、やめたり、色んな事をやりたいですね。「飽きる」ということは未来を変えるために必要なんじゃないかなと思います。

小難しいことを考えるのには飽きました

私は割りと早い段階から面倒くさい考え事をするタイプでした。でも、もう大体考え尽くしたなと思っています。私が高校生の頃に自らで発見した「人間の存在する理由」はなんと、ずぅっと昔にダーウィンが唱え済みだったそうです。がっかりしました。

高校生の時、隣の席の可愛い女の子が「私が生きている意味が分からない」って悩み相談をしているのをちらっと聞いて、「え?! 私以外の人もそんなこと考えるの?!」って思った瞬間に、私のその悩みは消えました。ほかの人も考えていることなら、私が考える必要性がないなと思ったからです。それと同じことが、ダーウィンにも言えました。ダーウィンが既に言っていたことなら、もう私がいう必要もないなって。

人間の悩み事、考え事なんていうものはもう何度も何度も繰り返し、されつくしていて、これ以上を自分で発見することは困難だなと思ったのです。新しいことが見つけられないのであれば、もうそんなことを考える必要性もないや、ってね。

全体を見る時間は終わった

「全体」は大量生産時代の終了と共に概ね終了しました。これから先はもっともっと個の時代になるでしょう。集合が個になり、そしてバラけた個はまた集合になる。私はいったん、個になるための技術を身に着けたいなと思っています。

しかし、個の時代は過酷ですね……歯車のパーツでいるだけでも、人間は社会にとって十分に価値があるっていうのに、パーツじゃだめだって言うんですよ。歯車の一つではなく基幹になれっていう風潮は、それができない人間をどんどん排他していきます。この過酷な時代が、この先はどんな風に流れていくのか、楽しみですね。

「飽きた」という言葉はこころを軽くする

何かをやめる時っていうのは、いつも仰々しい理由が必要になります。「自分の今後の成長を考えると次の業界での仕事も経験したく、退職した。」「受験勉強をはじめなければならないから習い事をやめた。」「ジムに通っていたけれど、どうも膝の調子が良くないし継続する方が体に悪い可能性があったのでやめた。」

何かをやめるということは、なぜかちょっとイメージが悪い。

やめるという後ろ向きな気持ちを、内外ともに納得できるものに昇華するために人は長々と理由を述べます。退職エントリなんかもそうですね。

でも本当のところ、きっとみんな「飽きた」んですよ。今っていう時間そのものに。でも「飽きた」っていうとみんなのイメージが悪いから、こころの中でこう言いましょう。

「な~んてぐちゃぐちゃ言ったけど、本当は飽きたってだ~け!」

頭に浮かんだことを飽きるまで文章にしました

さて、今日はなんの脈絡もなくふわふわと飽き思考をしました。

今日と明日は繋がっているけれど、毎日必ず訪れるかは分からない。私は生きている間に特に何も残さないでしょう。同じく、多くの人がそうだと思います。生きた痕跡なんて残りません。全員が忘れ去ります。

でも、そう思うとちょっと気楽に過ごせるような、自分勝手が一番だなぁって気持ちになれるよね! 

生きることに飽きるその日まで、気楽にいきましょう。