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歴史や一般常識のない人間が「坂の上の雲(1巻)」を読んだ感想

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私は今、久しぶりに自分の設定した限界を破ろうとしているというか、苦手だからと手を出さずにいたものに挑戦しようとしているというか、大人だから好き嫌いして良いものを敢えて選び取っているというか、とにかく今、順調に「坂の上の雲(1巻)」を読み進めています。 

小説、縦書きの文章をものすごく久しぶりに読んだので結構な時間がかかっていますが、1巻を読んでみた感想を綴ろうと思います。夏なので、読書感想文というやつですね。

なんで急に…という方は昨日の記事をご覧ください。

 

坂の上の雲(1巻)を読んで

私が歴史や一般常識に著しく欠ける人間であることをご理解頂いた上で、めちゃくちゃ言ってることを怒らずに聞いてください。

 

主人公らしき男たち、3名

「坂の上の雲」では、3人の男が登場します。

 

秋山好古(あきやま・よしふる)

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松山のお徒士の子供だったが、時代の流れに乗って「勉強して男子一事を成すぞ」と教師になったり学校に通ったりしているうちに騎兵隊の軍人になった。

のちに「騎兵隊の父」と言われるようになる。

外国人のような見た目をしていて美男子だけど、それを言われると怒る。男は単純明快にして、やるべきことだけやればよいのだというタイプ。

 

秋山真之(あきやま・さねゆき)

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好古の弟で、家計の関係から出産後間引かれるところだった。好古が「俺が金稼いでくるから、間引いちゃダメ」と言ってくれたおかげで無事に生まれ育つことができた。

地元では有名なガキ大将で、正岡子規と友達。大学に入ってモラトリアムを謳歌していたが、「俺、頭はいいしなんでも要領よくこなせるんだけど何かを成せる気がしないよ…」と思い悩んだ結果、海軍に入ることにした。

好古よりも数年後を追っているため、時代の流れで優秀な奴がたくさんいる恵まれたーーもとい、自分の能力の現実を突きつけられる環境にいる。

 

正岡子規(まさおか・しき)

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真之の友人。割といいとこの家柄で、昔から文学的なものに触れる機会が多かった。文学的センスがあるが、語学が壊滅的にできない。

悶々とものを考え議論する能力には長けているが、何か一つを研究し、分解してそれを再度組み立てるようなことには自分の能力が及ばないことに気づいている。真之と同様に、一体自分に何を成すことができるのか思い悩んでいる。

 

漢文にハマったと思えば政治にハマったり、気づけば哲学者を目指していたり、小説を読み漁ったり、とにかく飽きっぽい。ハマるとすぐに「この道で日本一になっちゃおうかな!」と思うが、自分よりすごい奴がいるのを見るとすぐに諦める。

 

いかにして生きて、何を成すのかということについて時代の背景と共に詳しく描写されていて、それが結構面白いです。大学時代のモラトリアムは時を問わず若者に訪れる試練のようなものなのだなと思いました。

私も飽きっぽいので、今のところ子規が一番好きです。夫に、「子規の飽きっぽいところって私と似てるよね! 親近感湧くわ。いろんなことを考えられるけど、何かを成すには足りない感じ。」と伝えると「でも、子規は最後に大きなことを成してるからな」と、暗に『君は悶々と考えるだけで大業を成す器ではない』と言われたので、私も生きている間には何か成したいと思います。

 

登場人物はいきなり未来の分まで紹介される

初めは戸惑ったのですが、こういう癖があることを理解すると読みやすくなりました。新しい登場人物、Aさんが出てきたとします。するとこのように紹介されます。

 

新入社員として入社した会社で直属の上司となったのはAさんだった。Aさんはチームリーダーの時に大型案件の受注を決めて本社の人間に高く評価され、その年の末には新規開拓の海外派遣チームに異動することになった。その後は海外でも着実に功績を残したが、語学にはかなり苦労したらしい。海外経験を積んで帰ってきた頃には課長に昇進し、社内でも様々なプロジェクトに参加していたが、翌年、入社時から思い描いていたという事業を自分で立ち上げるために退社した。その事業がおもちゃ産業だったので多くの人は斜陽産業に足を踏み入れるAさんの行動に不安と応援の気持ちを抱いてたが、AI技術を活用したAさんの作るおもちゃは日本でも海外でも非常に人気を経て、今や知らない人のいないまでとなった。この時はそんなことになるとはつゆも知らず、日々チームリーダーとしてメンバーを率いていた頃である。

 

と、こういう感じです。登場したその人が最終的にどうなったのかということまでつらつらと説明してから、でも今はここね、という感じで時間を引き戻す感じ。あぁなるほど、こういうすごい人ってことか、と思いながら読めば素直に読み解けると思いました。(それにしても私はこの歴史小説に苦手意識を抱きすぎである)

 

美しい「要するに」

「要するに」って言ってるのに要せてる人なんてほとんどいないよね、と思うことが現実世界ではよくあると思うのですが、司馬遼太郎さんの「要するに」はめちゃくちゃ美しいです。私は、こんなに素晴らしく要してある文章をこれまでに読んだことがなかったかもしれません。

 

そう思ったのは、1巻の238ページ〜242ページ、旧藩主久松家の殿様の自費によるフランス留学についての説明箇所です。なぜ旧藩主の間で自費によるフランス留学が流行っているのかをつらつらと説明した後、

 

要するに殿様の久松定謨(さだこと)は、去る明治十六年、フランスに留学した。

 

と、4ページに渡って説明していた内容をたった31字に要したのです。

これ以上に「要するに」を使うべき最適な箇所があるでしょうか? 私は驚きました。「要するに」の用法用量の守られ方が、すごい。

 

まとめ

久しぶりの縦書き文章に、1ページあたり1分もの時間をかけて少しずつ読み進めています。一度50ページほど読んで諦めてしまっていたため嫌だ嫌だと思っていましたが、二度目の冒頭部分は一度目に比べると読みやすく感じられ、真之と子規の青春模様が面白く、読み進めることができた感じです。

8巻読破までの道のりは長いですが、ちょこちょこ読んでいこうと思います。