小学校高学年の頃に初めて観た、東宝ミュージカル「エリザベート」。トート閣下は山口祐一郎さん、ルキーニは高嶋さんだったと思います。母親は、まだ意味が分かるには幼いかと思って心配していたようですが、これがもう私にはドンピシャ。
最近は観に行けていないのですが、新婚旅行でウィーンに行くため復習を兼ねて春野寿美礼さんのDVDを見返したので、「エリザベート」がいかに最高なのかをただ書き連ねます。
エリザベート
めちゃくちゃかっこいい歌とストーリー展開とに心奪われ、その後も宝塚歌劇団で春野寿美礼さんがトート閣下を演じている「エリザベート」を複数回、瀬奈じゅんさんがエリザベートもトートも演っているのも観ましたし、オーストリアからやってきたロック調のマテ・カマラスさんがクッソかっこいい公演も観に行きました。
脚本は?
「エリザベート」はミヒャエル・クンツェ脚本・作曲のウィーン発のミュージカルです。作曲はシルヴェスター・リーヴァイ。
日本での公演の演出は小池修一郎さんです。
あらすじ
19世紀末のウィーン。
若き皇帝フランツ・ヨーゼフが我が妻にと選んだのは、
自由な心と魂を持つシシィ(エリザベート)だった。
一目で惹かれ合い、固い絆で結ばれたかに見えた2人だったが、
その愛はハプスブルク王朝の破滅への序章であった。自由を愛するエリザベートにとって、宮廷での暮らしは苦痛以外の何ものでもない。
姑の皇太后ゾフィーが取り仕切る宮廷では、自身の子供を自ら養育することも叶わなかった。ある日、自分の美貌が武器になることに気付いたエリザベートは、
自らを完璧に磨きあげ、ハプスブルク帝国の皇后として栄華を極めてゆく。
エリザベートが望みを叶えたのも束の間、彼女のまわりには、夫の不義、国民の誹謗中傷、
愛する皇太子ルドルフの死と、不幸の影がつきまとう。そして、それらの不幸と共に彼女の前に現れるのが黄泉の帝王“トート=死”。
トートはエリザベートが少女の頃から彼女の愛を求め続け、
彼女もいつしかその愛を意識するようになっていた。
しかし、その禁じられた愛を受け入れることは、自らの死を意味することであることも、
エリザベートは知っていた。滅亡への帳が下りる帝国と共に、エリザベートの“運命の日”は迫っていた・・・。
全体を通して、全員が少しずつ歪んだ関係の中にいて辛くて可哀想なんですが、その中で強くたくましく生きる様が心に響くのです。
エリザベートの好きなとこ
演者で言うと、やっぱり印象が強くて「何この人、歌が上手すぎるし死という概念を具現化しすぎじゃない?!」と思った春野寿美礼さんがトートを演じる宝塚歌劇団花組の「エリザベート」が一番好きです。
自由で純粋なのが魅力的なシシィ
国家と臣民のために生きる険しい道を歩むもの、妻にも等しく重荷が待つと言っているフランツに対して、きっと楽しい道が見つけられるわとどこまでも楽観的で自由な若々しいシシィ。
そりゃ、堅苦しい世界で生きてきたフランツには魅力的に映って当然!
すぐ落とせるだろ、と自信満々のトートが可愛い
黄昏の結婚式、舞踏会で遊ぶように踊るシシィはみんなに品定めされていることも知らずにとても楽しそうで可愛い。
だんだんと音楽が不安定な音調になってきて、トート閣下のお出まし!!!
「最後のダンス」ナンバーはめちゃくちゃかっこいい。トート閣下の異常なまでの自信、魅力的です。
自由がないなんて無理!
フランツのマザコンっぷりを目の当たりにし、エリザベートが一人歌い上げる「私だけに」は、なんとなく壁にぶつかった時いつも頭に流れるくらい大好きな歌です。
今はエリザベートのわがままっぷり、傲慢さ、自分勝手さも理解できます。それに困ってしまっているフランツ(でもシシィ大好き)のことも。それでも自由を求めずに生きることができない性分ってのがあるもんなぁ…。
ミルク!
民衆が王宮への不満を爆発させる「ミルク」はめちゃくちゃかっこいい! ちょうどエリザベートに振られてイライラしていたトート閣下も民衆を煽り立てます。大人気ないぞ、トート。
お言葉嬉しく伺いました。
結婚式のドレスはこのシーンを参考にしたくらい好きなシーンです。様々な困難を乗り越えて自分が生きるのは自分のため、私の人生は私のもの、私が命を委ねるのは私だけ、ということに気づいてしまったエリザベート。
トートは、シシィに命を許したために生きる意味に気づいてしまった。つまり、死を愛することから遠ざかってしまったことに気づき、さらに自分の中のエリザベートへの愛の強さを認識するというシーンです。最高かよ。
踊るなら、全てはこの私が選ぶ
エリザベートがどんどんたくましくなり、「自分で選ぶ」ことを貫き始めます。誰の人生にとっても、選択権を得ることと選択権を持ち続けることって結構困難です。
選択には責任が付きまとうので、自らその権利を放棄する人だっているくらいです。でも、選択権を放棄していては自分の人生を選び取ることは決してできません。
自分の人生を生きるということは、選択権を手に入れて、自分で責任をとって選び続けること。
フランツの浮気にもめげないエリザベート
ついに追い詰めてやった! と嬉々としてエリザベートに死ねよと言い寄るトートだが、エリザベートは命を奪われたとしても愛することはできないと再度拒絶する。
フランツが罪を犯したことで、自分は自由だ…と言いつつ失意の旅に出て王宮に寄り付かなくなってしまったエリザベート。フランツ、待ってないで追いかけろよ。
エリザベートには、この頃にはもはや自由が見えなくなってしまっているのではないだろうか。
病院訪問をするエリザベート
身体的には自由だけれど、魂は束縛されていると感じるエリザベートが病院訪問を繰り返したのは何故なのか…。身体的には束縛されているとしても、魂が自由な人々を目にすることで自由を見出そうとしたのか…?
闇が広がる
何かしなければならないのに無力さに苛まれているときに脳内に流れるテーマ曲の一つです。
すれ違い続けた二つのボート
自由は、求めても自ら掴み取りに行かない限りは手に入れることはできない。フランツは自分にはない自由を手に入れる力を持ったエリザベートを愛したが、それゆえにエリザベートは自由を手に入れられなくなり、自由を失ったエリザベートはフランツの元から離れてしまった…。
少しのズレが、最後まですれ違い続けることになってしまったのである。切ない。
二人の男の最終答弁
エリザベート、愛されすぎやろー! と思う。自分の力で生きようとする力のある人は、誰から見ても魅力的なのだろうな。
まとめ
エリザベート、好きです。
私も、自分の人生は自分の手で責任を持って選んで邁進する。