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飽きることは友だち 飽きるってなんなのか考えてみた

こんにちは、もはや飽きることを愛しているとも言えるうたこです。飽きるとは一体なんなのでしょうか。私は昔から飽きっぽかったのでしょうか? 適当に考えてみました。

「飽き」とは

 飽きる、とは字面だけでみるとなんとなく「集中力のなさそうな感じ」「投げ出しやすい無責任な感じ」を受け取ってしまいがちですが、言葉の意味を調べてみるとこんな感じです。

あ・きる【飽きる/×厭きる/×倦きる】

[動カ上一]《動詞「あ(飽)く」(四段)の上一段化。近世後期、江戸で使われはじめた語》
多すぎたり、同じことが長く続いたりして、いやになる。「勉強に―・きた」「彼の長話に―・きた」
十分に味わったり経験したりして、それ以上欲しくなくなる。「牛肉を―・きるほど食べたい」
動詞の連用形に付いて、いやになるほど十分に…するの意を表す。「見―・きる」「聞き―・きる」
コトバンクより

そう、一定の事柄について多すぎたり、長く続いたり、十分だなぁと思ったときにそれ以上を求めなくなること、それが「飽きる」ということなのです。

幼き日のうたこの飽き

私は昔から、大量の出来事に興味があるが故にひとつのことには対して興味を持つことをしませんでした。ずっと何か同じことをするということができなくて、大抵誰よりも早く興味を失っていたように思います。

小学生のころにはシール集め、歌手の情報やグッズ集め、中学生になると美容情報や恋愛に関する情報とにかく気になったものは片っ端から集めました。

ただ、自分の認知している情報が知り得そうな情報量の6~7割に達すると満足するのです。あぁ、これ以上の情報をかき集めるのは不可能そうだし、大体分かった、と言って。そしてその情報量は同級生が知りえる量は遥かに超えていることが大半でした。

外から見れば、いきなり大量の情報検索を始めてむやみやたらと詳しくなったかと思いきや次の瞬間には違う話をしているので、まぁ気持ち悪かったことでしょう。

ただし、子どもは飽きると嫌がられる

しかしながら、「興味がない」という子どもや「もう飽きた」ということは子ども時代は特に忌み嫌われるワードであったように思います。子どもらしくない、可愛げがない、扱いにくい、一体あなたは何が好きなの? こういった質問は、「子どもとは世の中すべてにキラキラとした目を向けているものだ」「見るものすべてが新しくて楽しいもののはずだ」という大人目線で美化された子ども像です。全くはた迷惑な。

「この子はなんでもすぐに飽きちゃって」という前にその子がその物事に対して行っていたことをきちんと見聞きしたのか? その子が何もせずとも飽きたというのであれば、それはその物事の知り方を知らないだけだ。まずは面白さを教えてあげてくれと、言いたい。

別に大人に聞かなくても知る方法はいくらでもあったし、誰かと関わらずとも一人で理解できることは山のようにある。それを一人でしこしこ頑張っていただけである。

大人は自由に飽きられる

それに対して、大人は自由だ!! 子どもの頃は飽きたら親に「飽きました。すみませんでした。」と言わなければ習い事ひとつもやめることができない。私はそれで全然楽しくも興味もない習い事を3つもやっていた。辞める理由が飽きた事以外になく、飽きることは許されなかったせいである。全くもって時間とお金の無駄である。でも、そのことは一生親には内緒だ。もしかしたら気付いていたかもしれないけど、直接言ったら傷つくだろうからね。それくらいのことは子どもでもしっかり気を使っているのです。

だがしかし! 大人は飽きた瞬間にやめることができる。その意思決定すらも自分自身に委ねられているからだ。こんなに素晴らしいことがあるだろうか? いや、ないよ!!

やってみる、ことと、やめちゃえ! がこんなに簡単に行える。これは精神的自由度合いの最高位を陣取ってもいいことだと思う。

いいか、飽きるということはな、そののめりこんでいた時間がすっぽり空くということなんだ。そうなるとどうなるか? もっと他の楽しいことを探しに行けるんだ! 

大人はもっと飽きるまでやった方がいい

大人になったのだからもっと精神を自由に操ろう。知りたいことはガーっと調べて知り尽くして語りつくして、そしたら次へ。気付いたらなんだかうんちく王みたいになっているかもよ! 上司と酒を飲む時の話のネタにもなるし、女の子(男の子)と飲みに行く時にも話のネタになる。この人ったら仕事だけじゃなくてプライベートもエンジョイしていて素敵、一緒にいたら楽しいかも! なんてね。

飽きるのは悪いことじゃない。飽きるまでやれたというのはプロの世界の6~7割はかじれたってことだ。どうせ我ら平民は一生小市民さ、プロになれないのならたくさんの世界でアマチュアになろう。

飽きたくないのなら小出しにすればいい

とはいえ、愛してしまった趣味や一生やり続けたいこと、一生一緒にいてくれやーな女の人(男の人)が見つかった時は逆パターンにすればいい。飽きたくなければ知りすぎないこと、やりすぎないこと、時々ほったらかしにして他のものも見ること。

私はミュージカルを愛しているけれど、熱烈に観に行くことはしない。そこまでの熱量がないだけじゃないの? と言われればそうかもしれないけど、私が6~7割把握したら、飽きちゃうんだもの。飽きたくないんだ、ミュージカルだけは・・・。だから、たまにでいい。情報も、ちょこちょこしかとらない。でも人生には常に寄り添っている感じ、そう、空気みたいにね・・・。

よくいいますよね、「次のデートに繋げたければあまり自分のことは多く語らずに早めの時間で切り上げること」これも簡単には飽きを防ぐ戦法なわけです。気になるなぁ、なんか、もうちょっと一緒にいたかったのになぁ・・・そこで、帰る。続きはまた今度! あぁ気になって夜しか眠れないね。

飽きるってやっぱり素晴らしいと思う

私は、何かに飽きるたびに自分が死んで生き返るフェニックスのように感じるのです。ばかかもしれませんね。ただ、そうやって新しく自分が発生して、また気になることに全力投球する瞬間が楽しくて楽しくて仕方がない。もっともっと知らないジャンルに行きたい、やったことのないことをやりたい、食べた事のないものを食べたい! 

人には、え? あの話はもう終わってたの? ってポカーンとされるけど。

飽きるっていうのは、その物事について大まかには知り尽くしたっていうこと。やり尽くした! 誠心誠意やりきったのさ。飽きるって楽しいことだよ! 堂々と飽きたって、言おう! 見てみなよ、この記事中だけで「ですます調」「である調」「口語体」ぜーんぶ使ってあるんだぜ。ひどいよな、口調にさえ飽きてしまうのか? さ、じゃあ次は何しようか!