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「結婚お祝い金もらった」「半額返さなきゃ」って何なの?

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こんにちは、世界の常識と戦ううたこです。

結婚が決まった私に降りかかる数々の常識、一体なぜこんなやり方をしているのかさっぱりわからない常識がたくさんあることがよくわかりました。その中でも、「はぁ?!」と思えてやまないものが結婚お祝い金と内祝いの応酬です。なぜ皆違和感なく受け入れられるのでしょうか。不思議でなりません。

 

 

結婚お祝い金の半額を内祝いで返す”常識”

私は結婚式は一親等のみで行うため、特に気にしていなかったのですが、親族、いとこから結婚お祝い金をもらいました。

 

「お祝いなんてもらえるの…?!まぁ、そうか、確かに血族が新たな配偶者を見つけてFamily Treeが次世代にのびる事になったんだから、親族的にも喜ばしいことなのか。なるほどな。」

 

お祝い金をもらえると思っていなかったので、なぜもらったのかをまず考えました。そして、その理由については納得。確かに私も季節ごとに一緒にお酒を飲む甥っ子姪っ子が結婚したら、その喜ばしさで少しでもとお祝い金を渡すだろうなと思ったからです。結婚はお金のかかる出来事、少しでも足しになればと思う気持ちにはたいへん納得しました。

 

「我々にはお金もないし、こうしてお祝い金がもらえるのはありがたいことだなぁ…」

と、しみじみと血族に対して思いを馳せようとした瞬間

「いくらなの? あ、じゃあ半額で◯◯万円返さなきゃね。」

 

???

 

金額の確認と、それに対して「感謝の気持ちを表すため」にもらった金額の半分のカタログギフトの購入を要求されました。

※要求してきたのはもちろんお祝い金をくれた本人ではありません。受け取ったことを認識した周囲の人間が”常識”だと言って要求してきました。

 

「気持ち」ってなんのことなんだ

「え、なんで(カタログギフトなんかで)返さないといけないの。」

私にとって、カタログギフトとはもらった人の反応を見るに

 

  • いつももらっていてもう選べるものがない
  • 探して選ぶのが面倒
  • 手配が面倒
  • またもらってきたよ~↓

 

な代物で、とても「ほしいもの」「もらって嬉しいもの」とは思えなかったのです。

「なんでって、半額のカタログギフトを返すのが常識なんだよ。」

 

なぜ???

 

なぜ、お祝いの気持ちで包んだお金の半分が、わざわざ欲しくもないカタログギフトに姿を変えて帰ってくるの?????? 

 

「このお金でいい結婚式、新婚旅行にしてね。」って思う気持ちは無下に半分突き返されてしまうの?? 

 

私が疑問を全く飲み込めないでいると、常識はさらに畳み掛けてきます。

「お返しの品は、探すのが面倒だしカタログギフトで大丈夫だよ。」

 

お返しをするのは感謝の気持ちを表すため、ですよね。

なのに、そのお返しの探し方は「面倒だから適当なカタログギフトで半額分」ってどういうことなの????? 

 

気持ちを返すってその程度のことなの?

 

私が、お祝い金嬉しいなぁって思った気持ちは「とりあえず半額返せ」という常識に剥奪されてしまうの? 

 

半額返しは日本独自のものなのかグローバルスタンダードなのか

この風習は日本独自のものなのか、それとも世界中でこんなものなのか気になった私は、ありきたりですがアメリカのお祝い事情についても簡単に調べてみました。すると、アメリカではお祝いの贈り物に対する「お返し」というのはないそうです。せっかくお祝いした気持ちも返してしまう事になるから、とのこと。

日本ではこれが「謙虚さ」として作用しているのかもしれませんが、私としては「嬉しさ100%」で受け取りたいなぁって思ってしまいます。頂いたものを全て受け取らないのが美徳、って結構変な話だと思いません? 

 

まぁ、でも「美味しいどら焼き買ってきたよー!限定1個だったの!」「え!まじで!じゃあ半分こしようよ!」「いいね!」とかは普通にありえる話だと思いますけどね。これは美味しさをシェアしようよって精神ですからね。

 

ちなみに、アメリカではお祝いへのお返しはしませんが、その後の生活や子供の成長の様子を見せたり、話したりすることでお祝いへの感謝の気持ちの表明としているそうです。返して終わりではなく、長く続く関係になる、それが面倒なこともあれば、協力し合えたりよい方向に働いたりもするでしょう。ただ社会性の高いアメリカっぽいなー、と思いました。

 

お祝い金の内祝いが半額分のカタログギフトで嬉しいのか

もし、お祝い金を贈った人がカタログギフトだいっすきで、「あら、今度はフローレンスね、前回はマリアンヌだったわ~」なんて、カタログギフト開くだけでメーカーやランクまで分かっちゃうようなカタログギフトマニアなら、嬉しいかもしれません。

 

でも、私はカタログギフトをもらってすごく喜んでいる人をあまり見たことがありません。(いるにはいるんだろうと思うけれど)

私が今回思ってもみなかったお祝い金の存在を本当に「嬉しいなぁ」と思って、「何かお返しがしたいな…」とふわふわ浮かんできたほっこりとした気持ちは、もしかして「半額分のカタログギフト」を贈らないと相手に受け取ってもらうことすらできないのでしょうか。

 

もし、それが常識なら、私が「お返しに好きそうな◯◯を贈ろう♪」と別のものを送り返したら「あいつ、半額分のカタログギフト送ってこないなんて常識知らず。感謝の気持ちもないのか。」って思われてしまうんでしょうか。

気持ちよりも、物よりも、金額が一番の基準になってしまっているだなんて、悲しいとは思いませんか。

ていうか、半額分突き返されるのなら最初から半額分を「お返しはいらないからね」って言って渡したら良くないですか。何なんだ一体。

 

本当のお祝いとお返しって?

きっと、元来は

「親族の結婚!おめでたいからお祝い金を贈ろう♪」

「わぁ!お祝い金いただいちゃった。お金苦しかったし嬉しいなぁ。」

「何かお返しをしよう。う~ん。何がいいか悩む…」

「まぁ、わざわざお返しなんて…あら!素敵!」

 

みたいな、双方の暖かい気持ちがさ…それによってほっこりしたら世界はもっと美しいはずなんだよ…。※なお、この過程の中でカタログギフトがやっぱり便利だし相手に選んでもらえていいねって、なるならそれでいいと思う。

それが、

「げ、探すの手間じゃん」

『手間なら当社のカタログギフトをどうぞ!相手に選んでもらえます!』

「いえーいそれなら楽ちん!!!」

 

感謝の気持ち、どこいったよ…。どうしてみんな、そんな状態を違和感なく受け入れられるんだよ…。

 

私の感謝は常識知らず

そうして、私の嬉しい気持ちは常識によって「常識知らず」にされてしまいました。お祝い金、本当に嬉しかったよ。しきたりとかそんなの関係なく嬉しかった。

でも、私の感謝の気持ちは表明する機会すら与えられなかった。自動的に「半額分のカタログギフト」が選ばれたのだ。