Try Something New

この世界の秘密を見つけ出すために、どんなことでもやってみて、いろんなことを考えます。

“TRY

できないことを許されるか、諦められると長生きするのが楽になる。

f:id:utautan:20170626104204j:plain

 

先日、books&appsで公開された2つの記事を読んで、私も高校生くらいの頃には「30歳で死にたい」と考えていたことを思い出しました。

 

blog.tinect.jp

 

この記事と、

 

blog.tinect.jp

 

この記事です。

もし私が30歳で死のうという決心のまま大人になってしまっていたとしたら、もう、残された時間は1年もありません。今は、30歳で終えたいとは思わないです。もっと長く生きて色んな物を見たり知ったり遊んだりしていたいなと思います。

 

なぜ、30歳で人生を終えたいと思っていたのかというと、「できないこと」がたくさんあるからです。「できないこと」が多い自分に、長生きするほどの価値はないと思っていました。

 

皆が楽しく生きる方法は絶対にある、はず。

私は自分で認識している範囲では、自分の得意なことや苦手なこと、容易にできることと努力してもできないことを割としっかり理解している方だと思います。

時々、自分で自分が仕事ができるかどうかさえ分からない人や、自己評価と他己評価が大きく乖離している人がいますが、そういう人は得てして仕事ができない人ばかりだと思います。だって、それを把握していなければどこまで自分でやってどこから人に頼るのか判断できないじゃないですか…?

 

昔からできることできないこと、できないことを抱え込んで破綻することを経験していた私は、自分の能力に対する絶望を抱くのも早かったです。
私の能力に対して親や教師が求めるものの中で、これは余裕で達成するなというものと、こんな要求はお門違いだろということがあることを早くから理解していましたが、それに対する対処方法はさっぱり分からず、できない自分に落ち込んで鬱っぽくなることがよくありました。

 

「できないのは良くないこと」

長い間この世界を支配している(と、私にはそう見えます)この考え方は、できることを伸ばす、できることで助け合うという世界を後回しにしてきました。

もちろん、自分で自分の能力を判断できない相手に対して、できるはずなのにできないと思いこんでしまっていることをできるようにすることは大切なことだと思います。ですが、中には「あ、私、これ圧倒的に才能がない」という出来事だってあるはずです。

 

私は地図が読めません。これはもう諦めました。

10年以上、音楽関係の習い事や部活動をやっていたけれど音楽的センスが一切なかったため何も残っているものがありません。(当時何度も演奏したメロディーも一つも覚えていない)

 

そんなできないことに時間を費やすよりも、できることを伸ばしたほうが圧倒的に楽しく生きられるはず。

 

能力の限界は割りとすぐ分かる

小学校まではできないことがほとんどなかったので平和に過ごしていましたが、中学校に入学していろんな小学校の生徒が入り混じってきた時、私は自分のできなさにぶち当たりまくりました。

元々、努力で何とかしようとするパワープレイ型の私に対し、飄々と良い成績を取る人、体育も、部活動の演奏も軽々とやってのける人。
私が触れるか触れないかの所で背面跳びをしている横を、羽を使って飛んで行く人が大勢いました。

 

もちろん、その人たちにできなくて私にだけできる事もありました。が、13歳にして私は「万能」ではないことを強く認識したのです。

何でもできない自分に何の価値があるのか? なら、せいぜい生きても30年だ。20歳の前半で結婚して、子供を3人くらい産んだらそのまま死のう。
子育てをも放棄し、血を残すためだけに産み落としてさっさと人生を終えてしまおうと思いながら、辛い思春期(多分、みんなこんな思春期なんだと思う)を過ごしました。

 

できなくてもなんとかなる時間も勿体無い

「できないこと」と向き合い続けたまま、高校受験と大学受験を終え、就職しました。
「できないことを何とかねじ伏せる力」には長けていた私は、どれもまぁ第一志望ですり抜けていった事になります。

 

高校、大学でも自分の苦手や不得意を見つめ続けて、自分はなんて残念な生き物なのだろう。いや、生きている価値もない、ただの物だと思い続けてきました。

就職して配属された営業職は、たまたま自分の特性に合っていました。営業は大嫌いでしたが、「できること」だった為に良い成績を収めることができたのです。

 

ただ、「やりたくない」ことでもあったので、2年少しで辞めてしまいました。「できるけどやりたくない」事は割と精神を蝕むので、早めに辞めた方がいいと思います。昔やっていた習い事なんかもそうです。やめるタイミングがないからズルズル続けてしまったけれど、時間もお金も無駄でした。今ならすっぱりやめられるだろうになぁ。

 

スキル配分画面を表示させる

就職して、得意・不得意・できる・できない・やりたい・やりたくない、を自分のみならず他人の分も理解していった事で、人間はスキル割り振りがそれぞれ個別でなされていて、その人たちを複数組み合わせる事でスキルの合計最大値を狙い、成果を上げるのだということを知りました。

 

もっと早くにこういうことに気付く人もたくさんいるのだと思いますが、私は1社目を終えてなんとか理解したという感じです。

1社目の会社には優秀な人が多く、それぞれが自分の得意不得意をしっかり自認していました。だから、「俺はこれあまり得意じゃないからお願いできる? 代わりにこっちは任せて!」という仕事の回し方ができており、めちゃくちゃ楽だったのです。

 

得意なことをやれば、誰かの為になる。そして、不得意な事はやらなくても、誰かが助けてくれる。
それぞれが得意なことだけをやっているので、成果物も良いものになるし、やっていて心に苦痛も感じない。なるほどな、と思いました。自分で自分を認識できている人は、優秀なんだなと思ったのもこれがきっかけだったと思います。

 

まとめ

「できない」と向き合う事なく「できる・やりたい」を活かす方法がある。これに出来る限り早く気付くこと、教えてもらうこと、教えてあげること、理解すること。そうしたら世の中は「助け合えばみんな楽しい!」になるのではないでしょうか。

 

できないことと向き合うことは、自分の能力の無さを世間に晒すことです。そんなことに耐えられる強靭な心を持った人が、果たしてどれほどいるでしょうか。


「みんな楽しい!」はきっと、作れるはず…!

 

その為には、まず「人には得意・不得意があること」をベースとして、関わる人たちの得意なところ、不得意なところを見つけ出すことを常に意識する。見つけ出した得意・不得意は相手にも共有する、褒める、アドバイスするなど、お互いがお互いの能力について意識を持ち続けることができる環境をつくる。お互いの活かし方について、いつでも考える事、お願いできることは得意な人に、苦手は回収して得意な人に回す、そういうことを当たり前に行えるようにする必要があるなと思います。

 

得意なことを任されるって、承認欲求も自己実現欲求も同時に満たせることになるので楽しいんですよね。苦手なことはやらなくてもいいからストレスは少なくなるし、そうやって全員が全員を活かし合おうって思って過ごせれば、楽しいし成果も出て生きていくのが楽しくなるんじゃないかと思うのです。

そういう能力を見つけるのは難しいことだし、ネットで探せば自分よりも圧倒的にすごい人がわさわさ出てきてやる気をなくすことも多いと思いますが、そういう時は逆に世界なんて見ずに、身近なコミュニティで役に立つっていうことを目を向けてみるといいんじゃないかなと思います。

 

以上! とにかく、皆で楽しく長生きしたい。