こんにちは、和と洋が一緒になったらどうなる? うたこです。
あんパン・・・餡子とパンが出会ってしまった。そこにさらに、生クリームだと・・・? 禁じられた恋のようなあんパンに、浅草で出会いました。
あんパンの歴史
あんパンは日本独自のパンです。あんパンを作ったのは一体誰なのか? その歴史を紐解いてみましょう。
ポルトガルからやってきた「パン」
時は16世紀、日本では安土桃山時代と呼ばれていた頃、商人や宣教師たちの手で「パン」は日本にやってきました。
当時のパンはぱさぱさとしたビスケットのようで、お米や玄米を主食としていた日本人の口にはあまりあいませんでした。ですが、一部の数寄者・・・そう、あの織田信長なんかは毎食パンを食べていたんだとか。
1609年に日本にやってきたフィリピン総督ドン・ロドリゴ・デ・ビベロは日本に関する著作の中で日本人はパンをあまり食べず、作っても誰も食べないからただ同然で売られていると述べています。
西洋に開かれた明治元年
文明開化が明言され、江戸時代から明治時代に移り変わった頃日本人の食生活も大きく変化していきました。
パン食がブームとなり、西洋に追いつけ追い越せと立て続けにパン屋がオープンしたのです。
木村屋安兵衛がパン屋・文英堂を開業
明治2年、パン屋・文英堂を開業した木村安兵衛。その翌年には銀座に店舗を移し、屋号を「木村屋」と改めました。
桜あんパンの誕生
木村安兵衛と英三郎親子は、パン酵母の代わりに酒饅頭の製法にならった日本酒酵母を含む酒種を使ってあんパンを作りました。西洋から入ってきたパンでありながら、和菓子の製法を活用したパンだったのです。
明治7年、このあんパンを食べたお役人、山岡鉄舟はその美味しさに驚愕! 天皇に献上しようと安兵衛に持ちかけたのだそうです。
木村屋のあんパンの中心に桜の塩漬けが埋め込まれているのは、天皇に献上する際に何かインパクトを、と英三郎が考えたもの。
こうして、明治8年4月4日、桜あんパンは天皇陛下に献上されました。
以降、4月4日はあんパンの日とされ、日本中で大人気のパンとなったのです。
そのあんパンによって日本全国のパン屋も盛り上がっていったということです。
あんパン
時代の流れの中で生まれたあんパン。新しいものを受け入れ、そしてそれを日本の文化の中に取り込んでいく。日本人は本当にそういうのが得意ですね! 柔軟にカスタマイズする力、これから先も持ち続けて生きたいものです。
この浅草あんパンは、あんこにさらに生クリームまで入って濃厚、どっし~りとしたあんパンです。
これからあんパンを食べる時には、木村屋の安兵衛さんと山岡鉄舟さんを思うことにしましょう。
わーい、いただきまーす!